2017-06-20

偶々(たまたま)は奇跡らしくないのにも関わらず奇跡以上に奇跡なのです

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昨日、〈偶々(たまたま)の真実〉について書きました。人生のほとんどが〈偶々(たまたま)〉の連続で、実は、その〈偶々(たまたま)〉も仕組まれた必然の一致であり、奇跡の仕業であることを知って欲しいと思うのです。ただ、僕の言う〈偶々(たまたま)の真実〉は、世間で言うところの〈セレンディピティ=偶然をきっかけにひらめきを得、幸運を掴み取る能力のこと〉とは、趣がかなり違います。

〈セレンディピティ〉は、ある些細なことがきっかけで、たとえばポストイットメモや電子レンジ、マジックテープなどの発明につながったなど、主に特異なこと(人はこれを奇跡と言う)がとりざたされています。また、それに乗じたかたちで、「奇跡を呼び込もう!」「幸運をつかもう!」と、飛躍させた考え方を基にした協会すら存在しています。

僕は、この〈偶々(たまたま)〉から奇跡を生もう、という考え方自体が、そもそも意図的で、もはや本来の〈セレンディピティ=偶然をきっかけにひらめきを得、幸運を掴み取る能力のこと〉から逸脱していると思うのです。そうではなくて、まず、特異なこと=奇跡という考え方を捨ててください。

真実は、特異なことよりも、平凡なことの方が、奇跡です。問題は、その平凡な奇跡が連なってできたものに、あなたが気づけるかどうか?です。そして、それをあなた自身が、受け容れられるか?どうかです。

私たちはどうしても、感動的なことの方が好みですし、ドラマチックなことが起こって欲しいと思います。でも、本当の奇跡は、全く気づかないところに隠れているモノなのです。それが僕の言う〈偶々(たまたま)の真実〉です。

脳科学者の茂木健一郎さんは、〈セレンディピティ〉についてこう言っています。「まずは〈行動すること〉、そしてその行動の中でそれに〈気づくこと〉、最後に気づいたらあなたがそれを〈受け容れること〉である」と。

 

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