2017-04-18

偉大なる何ものかサムシンググレートの存在

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祖父の初七日の朝の出来事です。その日は、僕一人で祖父母の家の仏間に泊まっていました。

祖父は前立腺のガンでしたが、直接それが死因ではなく、言わば寿命だったようです。ただ、亡くなるまでの数年は認知症でしたので、僕のことを最後まで医者だと思っていました。孫として、非常に複雑な心境です。また、認知症老人の介護は、凄まじいものでした。

初七日の朝に話を戻します。僕は、あまり眠れぬ夜を過ごし、その朝、まどろみの中にいました。すると突然、どこからともなく、赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのです。その声を聞いて、僕は目を見開いたものの、体が言うことをききません。いわゆる金縛りですが、窓の外が、少し白みかけているのはわかりました。

最初は、ご近所の赤ん坊だろうと思っていたのですが、よくよく考えてみると、ご近所に赤ん坊のいる家はありません。そうする間にも、その声は少しずつ大きくなり、どうやら仏壇から聞こえてくるのです。その泣き声にかぶさって、遠くでほえる犬の声や、バイクの音も聞こえました。

そんな状態が、60秒ほど続いたでしょうか。金縛り状態はますます強くなり、その一方で赤ん坊の声が徐々に野太くなりはじめました。そして、次第に2人、3人とその声は増えはじめ、終いには、お堂に響き渡る大勢のお坊さんのお経のような声になっていたのです。

僕は、そのお経?を聞いていると、次第に筋肉の強ばりが溶けはじめました。その声は、凄まじいバイブレーションとなって、僕の体を包むようでした。そして、ふと、僕は悟ったようにひらめいたのです。

『赤ん坊、いや、本来人間は、神仏そのものとしてうまれてきたんだな』、と。

そう悟った瞬間、ピタッと何も聞こえなくなりました。と同時に、仏壇の前の灯籠のあかりが、かすかに暗くなったのを覚えています。

この、僕の悟りのようなモノに異議を唱える方もおられるでしょう。当時の僕は「神仏」という言葉を使いましたが、今ならサムシンググレート(偉大なる何ものか)という言葉に置き換えることができます。

それ以来、赤ん坊を見るたびに、この子は「サムシンググレート」だと思い、ある意味、尊厳をもって心の中で手を合わせ続けました。そして、それから十数年後、はじめて娘と息子を抱いたときも、その気持ちは変わりません。

我々人間は、壮大な宇宙とつながっていると、僕は信じています。あなたは、ただ、それを忘れているだけなのです。「壮大な宇宙とつながっている」と意識するだけでも、日頃の行動が変わってくると思いますので実践してみてください。

 

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