2017-05-07

修行とは「つらいとか、苦しいとか」そんなことではないという事実

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これも今だから(倒れてから)言えるのですが、修行とは座禅をくみに行ったり、滝行に出かけたりすることではなく、いわゆる日常にあります。洗面、用足、食事、片付け、掃除、洗濯、姿勢、思考、会話、人間関係などなど、生きていく中のこまごましたことに修行はあるのです。

と・・・まぁ、ここまでは、わかっていました。あえて、わざわざ言われなくても・・・。

いやいや、でもです。本当は・・・こんなに自信満々だったのに、恥ずかしいかな、まったく何もわかっていなかったのです、僕は・・・。わかったつもりにもなっていませんでした。つまり、日常のこまごましたことに対して、シンプルに言えば、気持ちの入れ方が中途半端だったのです。

例えば、毎朝ウンコがでたら「今日も出ました、ありがとうございます。」と感謝していました。でも、今までは、その感謝の言葉が心に響いていませんでした。また、最近痛感したのは食事です。今、病気の養生で塩分をひかえていますが、すべてが薄味。最初は、これこそが修行だと思って嫌々ながら食べていましたが、実は、つらいとか、苦しいとかは修行ではないのです。修行とは、ものごとの真理への共感であり共鳴です。

「ドレッシングをかけないキャベツって甘いんだ。」は、本当はわかっているようで、実はわかっていなかった真理なのです。それに共感できる、共鳴できることの素晴らしさを知ることが〈修行〉なのです。ドレッシングをかけないでキャベツを食べることが、決して〈修行〉ではなかったのです。

まだまだ僕は、病気になってそのヒントを知った程度ですが、毎日が新しいことの発見と気づきに満ちあふれています。

 

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