2017-09-23

年老いて病院で死なないようにする理由

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けったいな死に方はしない。僕は、そのことを心がけています。第一に、年老いて病院で死なないようにするのが課題です。

僕の祖父母は、全員病院で息を引き取りました。このご時世、致し方ないことではありますが、死に際の印象は、看取ったものにとっては、永遠に残ります。特に子どもたちにしてみれば、はじめての身近な〈死〉ですから、その後の生き方に大きな影響があるやも知れません。

立派な死に方なんて、あるわけがないのでしょうが、少なくともけったい死に方だけは見せたくないというのが、僕の今後の、いくつかある課題のひとつなのです。

それが、「病院で死なない」です。

これは、ずいぶんと先の話だと思うのは間違いで、少なくとも、中年期から準備をしておかないと、間に合いません。なぜなら、年老いて一旦入院してしまうと、「死にそうだから、死は自宅で迎えたい」などと思っても、無理な注文です。

病院で死ぬというのは、鼻にチューブや腕に点滴の針、心電図や血圧の装置など、無機質なものに囲まれて、延命の中、いつ死ぬともわからない死を待たなければなりません。

与論島の病院には、霊安室がないときいたことがあります。患者さんがいよいよとなれば、自宅に搬送され、住み慣れた家で死を迎えるそうです。そこには、生と死が身近にあることを大切にする「与論神道」の信仰がベースにあるらしいのです。

生と死がつながっているという死生観は、今の時代、もはやなく、生は生、死は死と割り切った考え方があります。でもそれは、街中の不便さを廃止し、汚いものはすべて水に流して消えてしまうという、この世の中っが作りだした幻想でしょう。

生は、死とつながってはじめて生きてきます。死を、病院という別世界で迎えるのではなく、もっと身近な存在に、僕はしたいのです。

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