2018-07-29

セレンディピティを起こす確率が増えても意味がない理由

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Aを探しもとめていたのに、偶然Bを発見するにいたった。こんなことが日常で多々起こったりします。このような現象をセレンディピティと言います。

セレンディピティについては、このブログでも書いたことがありますが、少しおさらいをしておきましょう。

セレンディピティを起こすには、3つのポイントがあります。まずは、「行動」です。しかも、行動する範囲を、できるだけ広くすることが望ましいと言えます。次は、出会いを察知する観察力であり、直感力です。そして最後は、探し求めていたもの以外を受け入れ、認めることができる、柔軟性です。

この3つのポイントを意識して実行すれば、セレンディピティを起こす確率は増すだろうと言われています。でも、ことはそう簡単でありません。

文芸評論家の小林秀雄がこんなことを書いています。

人生は出会いの連続である。人やモノだけではない。日々起こる出来事もすべて出会いなのだ。平穏無事に過ぎるときも、思わぬことに遭遇するときも、ひとときとして何ものにも出会わないときはない。道ばたに咲く花も、季節の香りをはこぶ風も、空も雲も、あたり一面がその時その場所でしか出会えなかったものなのだ。その偶然は、心が引き寄せているものであり、必然に形として目の前に表れるだけ。良いことも悪いことも、それが心の成長に必要なものだと判断して、命の力が呼び寄せているのかもしれない。

つまり、僕たちは、小林秀雄も言うように、出会いの連続を体験しているにも関わらず、盲目なのです。僕たちの〈命の力〉が、いくら素晴らしい偶然を引き寄せたとしても、観察力や直感力、柔軟性がなければ、何も起こらないと言えます。

重要なのは、その見慣れた偶然を、黄金のように光輝く必然として、認知できる〈心〉そのものを持つことです。それを脇に置いておいて、前述した3つのポイントをいくら実践しても、笊(ざる)で水を汲むようなのです。

では、見慣れた偶然を、黄金のように光輝く必然として、認知できる〈心〉を培うには、一体何が必要なのでしょう。

〈分相応〉ということばがあります。意味は、「その人の身分や能力にふさわしいこと。また、そのさま」です。僕たちは、分相応の今世に生まれてきています。大金持ちの家に生まれる人もいれば、そうでない人もいるのは、前世の結果でしょう。

若干、宗教的な言い方になりますが、僕たちは、分相応の出会いしかできません。素晴らしい出会いをしていても、黄金のように光輝いて見えないのはそのためです。

だから諦めましょうと言うことではなく、今生で命を磨く〈意識〉が必要なのです。命を磨くとは、決して難しいことではなく、向上心をもって前のめりで生きると言うことです。決して悲観せず、感謝の気持ちを忘れず、宮沢賢治の〈雨ニモマケズ〉のごとく、サウイフモノニワタシハナリタイと、志せば良いのです。

「それができないのです」という人には、僕は何も言うつもりはありません。来世で、トライしてみて下さい。

 

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