2017-05-25

霊的な成長をどう捉えるべきかを考えてみた

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先日アップした「願望は必ず叶う!それにはちょっとしたルールがあります」という記事の中で、〈霊的な成長〉について少し触れました。

まず、〈霊的な成長〉とは、ひとことで言ってしまうと〈我〉が薄まってゆくことです。言うまでもなく〈我〉とは、自分自身であり、あなた自身のことです。

たとえば、「我先に」という日本語がありますが、意味は「他者よりも先を争うさま」となっています。すなわち、誰にも負けることなく、先を行く、もしくは、目的を果たすことです。これぞ「我」の塊といっても過言ではありません。でも、私たちは、この結果生まれてきていることを思い出してください。そう、受精です。精子は、「我先に」卵子と受精しようとします。活発で健康な精子が、卵子と受精するためです。これが生き物の証なのだと、僕は思うのです。

人は、「我先に」の行為の結果生まれてきたのにも関わらず、〈我〉を薄めていくことを求められています。ここに大いなる矛盾を感じるのは、僕だけでしょうか? 生存競争のすえに生まれてきた私たちなのですから、〈霊的な成長〉はかなり難易度の高い問題なのです。また、〈爬虫類の脳〉と〈哺乳類の脳〉、そして〈ホモ・サピエンスの脳〉の3つを持った私たちにとって、本当に〈霊的な成長〉なんて現実味のあることなのでしょうか?

でも、そこで思考がストップしてしまえば、ホモ・サピエンスも中途半端な進化のまま終わってしまいます。いや逆に、中途半端な進化の途中にいる私たちだからこそ、ここを乗り越えなければいけないのだとも言えます。

今回はとりとめもない話しで終わりそうですが、一つ言えることがあります。それは、もしかしたら人類にとって〈霊的な成長〉とは、永遠にたどり着けないけれども、そこをあえて取り組むことで、新たな展開が到来するであろう予感を、捨てきれないと言うことです。

 

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