2018-06-03

布教に来た宣教師を無神論者にしてしまったピダハン族の世界観

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僕たちの脳は、右と左に分かれています。右脳は、映像・図形の認識、空間認識、イメージや直感などを受け持っています。左脳は、言語や数理的推理、論理的思考などを受け持っています。

また、右脳は、〈現在〉がすべてで、今この瞬間を映像でとらえ、身体全体を動かせて学ぶのが特徴ですが、左脳は、〈過去〉と〈未来〉がすべてで、右脳から〈現在〉を取り込んで、過去と結びつけたり、未来の可能性を言語で考えます。僕が脳出血した部位が左脳でしたので、病院に担ぎ込まれるのがもう少し遅ければ、言語障害になっていたかも知れません。

しかし、厳密に言えば、「言語は左脳、感覚は右脳」と、単純に分けることができず、大脳のほぼ全体でかかわってます。

さて、表題のピダハン族の話ですが、この種族の最大の特徴が、〈過去〉と〈未来〉の概念がないと言うことです。

この〈過去〉と〈未来〉の概念がないと言うことは、つまり、〈今〉しか理解できません。過去を振り返って懐かしんだり、後悔することもありません。また、未来に対する不安もありません。冒頭で書いた、右脳がつかさどる世界観でピダハン族は、〈今〉を暮らしていると言えます。彼らは、〈今〉目の前に見えること、起こること、経験したことしか信じないのです。

そんな彼らですが、見たことのない神なんて信じていないにもかかわらず、幸せに暮らしているのです。

宣教師は、「神を信じていない人類は幸せになれない」という考えで、キリスト教の布教をしてるわけですが、結局、この道理を解決できず、最終的に宣教師は、キリスト教の教えを信じなくなってしまいました。

私たちは、〈今〉を生きているにもかかわらず、〈過去〉と〈未来〉にとらわれ生きています。変化しない過去や、思い込みでとらえた未来にです。しかし、道元が説いているように、常に変化するからこそ、悪が消滅し、善が生まれるわけで、それは〈今〉この瞬間でしか起こらないのです。

ピダハン族の世界観は、刹那的(一時的な享楽にふけるさま)と批判する人もいるかも知れませんが、実は、その刹那的な生き方こそが、本来のあるべき姿なのかも知れません。

ピダハン― 「言語本能」を超える文化と世界観

 

個別コンサルティング

 

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