2017-09-22

人生の隠れた至福は思いがけない瞬間・予期せぬ場面であらわれる

Pocket
LINEで送る

僕は、中学・高校時代、あまり勉強をした記憶がありません。机の前に座っていること自体苦痛でした。予習も復習も継続してしたことがありません。当然成績は、可もなく不可もなしという感じで、高校も大学も、そこそこのレベルです。

大学の受験勉強も、参考書・問題集の類いは、数ページやっては、新しい参考書・問題集に目移りして、ただの1冊も、やり終えたためしがありません。そのうち、参考書・問題集は山のように増え、その点、参考書・問題集には、かなり詳しくなりました。

ちょっと脱線しますが、僕は算命学上、目新しさを追求する〈龍高星〉を持ち合わせていません。逆に、同じことを何度も繰り返す〈玉堂星〉を持っています。それなのになぜ、真逆の行動をしていたのでしょう。

答えは、実は、やはり〈星〉通りだった!と言うのが正解です。たとえば、龍高星なら、新しい参考書・問題集に目移りするのではなく、勉強以外(趣味など)の全く別の次元に目移りしていたでしょう。でも、僕は玉堂星だったので、勉強方法からどうしても抜け出せず、同じ次元をさまよっていたわけです。(※あなたの星は、こちらで調べられます)

話を戻すと、僕が勉強ができなかった原因は、〈臨界点=それ以上超えられない点〉に到達していなかったからに他なりません。

臨界点とは、反復練習をしているうちに、新たな境地に達することです。たとえば、好きな映画を何度も鑑賞していると、新しい発見があったりします。1回観たのと、3回観たのとでは、映画の印象や評価も違ってきます。もっと身近で言えば、スルメも噛めば噛むほど味が出ます。なので、同じ参考書・問題集を1回やるのと、10回やるのとでは、新しい気づきはもちろん、まったく得られる学力が違ってくるわけです。

これは、受験勉強だけでなく、何ごとにおいても言えます。

良く、「食べず嫌い」などと言いますが、これとは違います。この場合のように、食べたらすぐに好きになるのではなく、ある程度時間がかかります。つまり、ある一定の退屈な時間を超えないと、それは得られません。私たちは、この一定の退屈な時間を超えられないがために、素晴らしい瞬間を見逃しているのです。僕はこれを、「人生の隠れた至福」と読んでいます。

僕は晩年を、この「人生の隠れた至福」探究に捧げられればと、目論んでいるのです。

Pocket
LINEで送る

関連記事