あなたは誰にとって刺激的な(影響力のある)存在になるべきなのか
もし、あなたが「この人、どこかで会ったことがある」と感じ、しかも実際、その人と、現実世界で会ったことがないとしたら・・・。
前世での出会いを、今生でも繰り返すケースは、良く聞く話です。このブログでは、宗教観を語っているわけではないので、輪廻転生や最後の審判など、具体的な事象について語るつもりはありません。つまり、宗教上の生まれ変わりの有無についての議論ではなく、どうしてこのような事が起こるのかを考えています。
今回のテーマは、冒頭の、もし「この人、どこかで会ったことがある」と感じられた出会いがあった場合、どうすれば良いのかという指針です。
さて、もし、生まれ変わりがあるとするならば、本当に我々は生まれ変わるたびに成長するよう問われているのでしょうか。凡人が少しずつ天才へと成長していくプロセスを、悠久の中で実現しようとしているのでしょうか。
僕は、次のように仮定しています。
我々は、凡人から天才へと〈さらに成長する〉ためにではなくて、〈新たな存在になる〉ために生まれてきているのではないかと思うのです。〈新たな存在になる〉とは、文字通り、前世とは異なる生き方です。このブログでも散々書いている〈霊的成長〉の考え方は、〈新たな存在になる〉という意識です。前世の二の舞にならないように、〈新たな存在になる〉ということです。
たとえて言うならば、役者たちは、前に演じた違うドラマの役柄を引きずって、今のドラマを演じることはありません。観客も、前のドラマと同じ役者が演じているのに、以前の違うドラマと混同することはないでしょう。それと同じように、この人生も演者は同じあなたでも、演じるドラマはまったく違うのです。
もし「この人、どこかで会ったことがある」と感じられた人がいたら、この人はあなたと以前、人生を演じた、いわば共演者です。なので、前世の二の舞になるような生き方を、お互いにしないように関わることです。
まず言えることは、相手があなたにとって刺激的な(影響力のある)存在であるならば、あなたも、その人にとって刺激的な(影響力のある)存在になることです。また、相手が刺激的な(影響力のある)存在でないならば、なおさら、あなたが刺激的な(影響力のある)存在になってあげるべきです。
そして、お互い生まれ変わるたびに、新たな霊的成長を、繰り返していくことなのです。