2018-10-22

あなたに必要なのは、まずは自分のためだけに生きるという勇気だ

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人は、自分のことを第一に考え生きているのは事実です。でも、自分のことを犠牲にして生きている人もおられます。ただ、その犠牲が、単に自己満足のためだとしたら、どうでしょう?

たとえば、道ばたで老婆が倒れていたら、「どうしたんだろう・・・・・・」「これは大変だ・・・」と、あなたは助けてあげるでしょう。その行為は、あなたの純粋な情動(一時的で急激な感情の動き)の結果です。算命学で言えば、車騎星を命式に持っている人は、この情動が明確に現れます。なのでこの行為は、老婆を助けてあげるという自己犠牲ではなく、単に感情の表れであって、ましてや自己満足とも違います。(愛と情の違いについては、いずれ書きます)

実は、突発的な感情の行為ではなく、あなたが自分を犠牲にして、他人のためにやってあげている行為の中に、自己満足が存在しています。

マーク・トウェインは、著書「人間とは何か」の中で、自己犠牲の精神など、すべては、もとをただせば自己の満足を得るためだと、登場人物の言葉を借りて一蹴しています。すべては自己満足、自己陶酔の現われであり、自己犠牲などありえず、愛や優しさも、すべては自己満足だと。

僕が、この「人間とは何か」という本を読んだのは、ちょうど祖父母の看病をしている18歳の頃でした。自分が看病をしている行為が、単なる自己満足、自己陶酔なのか!と痛感させられたのを覚えています。

もし18歳の時、僕に夢中になれるものがあったとして、それと看病のどちらにするかと迫られたとしたら、僕は、迷いながらも夢中になれる方を選択していたでしょう。しかし、現実は、夢中になれるものがなく、とは言え、他にやることもなく、やむなく看病をしていたのが事実で、それを自己犠牲だと、自分を納得させていたのです。ウラを返せば、自己満足、自己陶酔だったとは知らずにです。

あなたにも、心当たりがあるかも知れません。「私は、どうしてこんなに不幸なんだろう・・・」「どうして、私がそれをしなければならないの・・・」。しかし、あなたにのしかかる不幸の大半は、あなた自らが招き入れ、それを受けいれることで満足し、陶酔しているのです。もはやこれは、麻痺状態といっても過言ではありません。

なので、訪れる不幸や強要される行為に、自己満足、自己陶酔するのではなく、真実の、自己満足、自己陶酔ができ、夢中になれるものを見つけることができれば、あなたはそこから解放されるでしょう。いや、まずは、自分のために生きると決めれば、夢中になれるものが見つかります。そして、真実の、自己満足、自己陶酔ができれば、自己犠牲なんて、大したことではなくなるのです。

まずは、自分のために生きてください。他人のことはさておいて、あなたの今を大切に生きてください。

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